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屋根裏の物品をすべて降ろすことに成功。前回に続いて2回目の作業なので1時間半で終了した。出てきました。宝の山が。まず大昔のレコード3枚。残っていたのですね。このレコードを再生する機械は博物館にしか残っていないだろう。どうしよう。砕いて捨てるか装飾品として壁に飾ろうか。何も考えずに捨てるのではなかったのか?と自問自答しながら悩んでいる。1980年代のコンピュータ用フロッピーディスクも出てきた。すべて捨てたはずなのに奇妙なところから出てきた。大きさは5インチでとても薄くできている。さらにもっと小さくて記録面が露出しないカセット式のフロッピーディスクが出てきたときには、その技術の進歩に驚いたものだ。しかし今はフロッピーディスクはほとんど使われていない。コンピュータにも装着する場所がなくなっている。2枚くらい机の引き出しに入れておくか。こんな調子だから作業効率が非常に悪い。計画通りに終わるのかなあ。
原発関連のニュースが連日報道されているが淡々として危機感が薄くなっている。原子炉の内部の水位が3mくらいと考えていたがカメラで60cmくらいしか無いことがわかったという。ということは冷却水が漏れていて水位が上がらないとのだと推測されると言う。テレビの報道はそれで終わり。漏れた冷却水がどうなっているかが問題なのにそこまで追求していない。地下水に混入しているのか海に流れているのか危機的な重要な問題なのにそこまで追求していない。今も確実に汚染が拡大している事を想像すると恐ろしい。
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旧車庫の部屋復活の概略が出来上がってきた。暖かさを最優先した作りでおよそ人間が快適にくつろむ部屋の雰囲気はない。床は合板のまま、壁はクロス張りではなくスタイロホームむき出し。費用を最小限に抑えた。2階の改築が終わるまでは物品置き場になるが5月からは私の感覚で個性豊かな(?)空間に仕上げる。フィットネスルーム兼宿泊室兼書庫兼瞑想室?楽しみが増えた。その前に1週間かけて2階の物品を全部この部屋と車庫の中に借り置きしなければならない。アリさんのようにただひたすら荷物の移動に時間をかける。さらに心を鬼にして廃棄処分にする思い出の物品を分解して燃えないゴミ等に仕分けして処理する。楽しさと寂しさが交差する1週間が始まる。
歯科医院に行って帰ろうとしたら私の長靴が無い。どこかのおじさんが間違えて履いていった。素敵な病院のお姉さんが慌てて電話をしてくれた。でもまだ家には帰っていなかった。すぐ裏の人だから行ってみると私の制止を聞かず駆けて行った。それでも結局会えずに私は病院のスリッパを借りて帰ってきた。人のことは言えない。実は10年くらい前に私も間違えて他人の靴を履いて帰ってきたことがある。安くておじさん方がよく買う長靴なのでとても似ていてよく間違えるのだ。やれやれ。
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エレクトーンを分解し始めて驚いた。何から何まで実に丁寧に作ってある。壊れたら新しい商品を買った方がいいという現在の大量生産を主とした商品からは想像がつかないほど頑丈で部品を止めているネジも多くそう簡単には壊れないように作ってある。30年前だから日本の技術が世界でもトップに評価されて真似していた時代から真似される時代に移っていく絶頂期にあったのだから本物の作品だったのだろう。これは雑に壊すのは作った人に失礼と感じて、ネジ1本1本丁寧に電動ドライバーで外すことにした。そして電子基板、プラスチック、金属、木材と種分けをした。プラスチックと金属は資源ゴミに出して木材は使える大きさのものは使って、あとは細かく切って薪ストーブで燃やす。電子基板はどのように処理するか電話で確認して指示に従うことにした。徹底して再利用できるものは再利用するつもりになった。エレクトーンの側面の板は綺麗に漆塗りのように光沢があって燃やすのはもったいないので、孫の小さな滑り台を作ることにした。分解が終了して気がつくとドライバーを握る時間が長すぎたのか右手の指の節々が痛くて暫くは指がまっすぐ伸びなかった。膨大な量のネジの山を見ると指の痛さに納得した。技術国日本を懐かしみながらの楽しく集中した1日だった。
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30年前の娘が使っていた本格的なエレクトーン。持っていってくれたら無料でお上げしようと思ったが考えてみれば30年前の電子機器だから誰も必要としないだろう。30年昔と今の技術に差がありすぎて骨董品の部類に入る。しかも重くて大きいので運搬料が何万円もかかりそうだ。今まで娘が帰って来たときに思い出を回顧する程度に引くことがあっただけで2階の部屋に置きっぱなしにしてあった。このまま私がいなくなったら処理にお金が掛かる、というわけで遂に廃棄にすることにした。もちろん娘に許可をえてだが。廃棄と言っても業者に頼まなければ部屋から出すことが出来ない。お金が掛かるので自分で分解して小さくすることにした。ネジの1本1っぽん丁寧に分解し始めた。コンピュータの基板が多数配置してある。30年前だからすごい技術が詰め込まれていてしかもコンピュータなどというものはまだ一般の家庭には普及していない時代だから「88万円」もした価値がわかる。お金がないので長期の月賦(死語かな?)で購入した代物なのだ。巨大なコンピュータの中を覗くような感覚で興味深い。立派なスピーカーも付いている。昔なら100%音楽のスピーカーボックスに作り替えるだろうが、今はスピーカーは有り余っていて、これ以上造っても使い道がないので諦める。大きなスピーカーは車庫の奥で眠っている。誰か貰ってくれる人がいればすぐにでも引き渡したいくらいだ。
投稿情報: 22:05 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今、家で仕事をしている大工さんは3回目になる。最初の出会いは2001年。古い家で昔の基準で造ったままなので断熱材も薄くてとても寒かった。妻は冬はストーブのそばから離れられず低温やけどをするのではないかと心配になるくらいであった。それで居間だけでも温かくしようと改装したときに来た大工さんが彼だった。どんなに造作が大変でも笑顔で仕事をしてくれた。その後も小さな仕事を頼んだら偶然にまた彼がやってきた。そして今回の旧車庫と2階の改築も彼が担当になった。彼の仕事ぶりを見て多くの技術を学んでその後の私のDIYの向上に役立った。私は時間はあったので彼の作業中も一緒にいて質問ばかりしていた。彼は仕事の邪魔だったと思うが親切に質問に答えてくれた。今回は一人で仕事をしているのでさすがに邪魔してはいけないと話しかけるのを我慢している。今日も3℃と暖かく雪がどんどん解けていく。それでも道路にはまだ高い雪山が残っている。庭の雪が解けるのはずいぶんと遅くなりそうだ。
投稿情報: 23:29 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
玄関の横にある靴置き場の小さな空間を整理した。小さな空間にもかかわらず靴以外の雑品が出てくる出てくる。もう使わない靴を妻に判断してもらって整理したついでに一度すべての物品を出して中を掃除した。靴棚に敷いてあった新聞も新しいものに取り替えようとしたら、その新聞は1980年12月4日の新聞だった。最初に目にした記事は、「柏崎・刈羽原発公開ヒヤリング」のニュースだった。何というタイミングなのだろう。「6000人が阻止叫ぶ」という見出しや、「怒号の中。陳述」などの見出しが強烈に目に入ってきた。反対派に対し機動隊2000人を動員。東電側の説明の中に「事故防止のため何重にも防護対策が施されている」「十分な耐震設計・・・・」などとある。原発事故が現実に起きた現在の状況を見ると「あの時・・・・」という後悔の念がもっともっと大きいうねりとなって世界中に伝わってもいいと思うが、推進派の力も根強く残ったままだ。それにしても偶然とはいえこのようなタイミングで30年前の原発のニュースの新聞が出てくるとは再度の警告なのだろうか。不思議な感覚でまた作業が中断した。
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旭川空港に行ってきた。駐車場には多くの車が駐車してあるが連日の雪で車に雪がつく。その車にのっている雪の量で駐車日数の多少がわかる。駐車料金は1時間100円で1日500円が上限。3日駐車すると1500円になる。安いもんだ。私も旅行に行くときは利用するが、雪が積もったときのために車の中にスコップと長靴を入れてある。車の周りの雪を除ける必要が出てくる場合があるからである。備えあれば憂いなし。先日お亡くなりになった知人の農家の家に行ってお線香をあげてきた。家族といろいろ思い出を語り合った。今年の雪の多さに農作業も遅れがちと思ったが3月前半の暖かさのおかげで雪が解けてくれて深刻な状態ではないと聞いた。よかったよかった。
投稿情報: 23:48 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日も猛吹雪。春荒らし(台湾坊主という)にしては少し早いような気がしますが、兎に角強烈な吹雪でした。自動車道では通行止めになった時間帯もあるが解除になってから多重事故が起きて死者も出た。本当に恐ろしい。視界不良の中通行していて目の前が一瞬視界が戻ったと思ったら車が止まっていてブレーキをかけたが間に合わなかったという悪天候時の典型的な事故だ。冥福を祈ります。除雪をしていても帽子が飛んでしまうくらい風が強かった。
屋根裏へ上がる階段がついた。私が作った階段と違ってプロの製品は当然ながらかっこいい。屋根裏は今まで自分で床を張って小部屋を作って利用していたのだが断熱材の張り方もいい加減でお世辞にも快適な空間とはいえなかった。これからプロに依頼して快適な空間になるはずなので楽しみだ。一人で哲学の世界に入ってしまいそうな空間になることを期待しよう。
投稿情報: 23:42 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
移動した雑品の整理が追いつかずに臨時に未整理の雑品を車庫内の空間に借り置きした。おかげで車は車庫に入れることが出来ずに車庫前に止めておくことになった。可哀想にわが愛車は寒空の中外気に耐えて過ごすことになる。1週間で旧車庫が書斎(?)になるので完成したらそこに物品を移動すると車庫に空間が出来る。次は2階の工事が始まるまでにまた雑品を車庫に移動する。2階の工事が完了すると雑品を元の場所に移動して終了となるのだがその間延々と雑品を抱えて歩き回る行動が続くのだ。本など重いものは若い人が運んでくれるが軽いものは私が運ぶ。足腰が鍛えられるなどというレベルではない。腰を痛めないように注意しながらの行動になる。古い家を改築する話はよく聞くがみなさん物品の管理はどのようにしているのだろうか。大変さがわかってきた。もっとも引っ越しと同じようにプロに頼むといいのだろうが。
カクテルグラスが出てきた。そう言えば同僚が結婚したときに2次会でカラオケボックスを借り切ってカクテルを作ってお祝いした時のグラスだ。あれ以来カクテルは作っていない。どうしよう。割って捨ててしまうか残しておくか。もう永久に作ることはないだろう。やっぱり捨てよう。
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