玄関の横にある靴置き場の小さな空間を整理した。小さな空間にもかかわらず靴以外の雑品が出てくる出てくる。もう使わない靴を妻に判断してもらって整理したついでに一度すべての物品を出して中を掃除した。靴棚に敷いてあった新聞も新しいものに取り替えようとしたら、その新聞は1980年12月4日の新聞だった。最初に目にした記事は、「柏崎・刈羽原発公開ヒヤリング」のニュースだった。何というタイミングなのだろう。「6000人が阻止叫ぶ」という見出しや、「怒号の中。陳述」などの見出しが強烈に目に入ってきた。反対派に対し機動隊2000人を動員。東電側の説明の中に「事故防止のため何重にも防護対策が施されている」「十分な耐震設計・・・・」などとある。原発事故が現実に起きた現在の状況を見ると「あの時・・・・」という後悔の念がもっともっと大きいうねりとなって世界中に伝わってもいいと思うが、推進派の力も根強く残ったままだ。それにしても偶然とはいえこのようなタイミングで30年前の原発のニュースの新聞が出てくるとは再度の警告なのだろうか。不思議な感覚でまた作業が中断した。
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