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昨年の今日は積雪が66cmあってゴミ集積所の周りが雪山で高くなったので雪崩しをしなければならないくらい山になっていたが、今年はとても雪が少ない。予報は連日の雪だが降る量が少ないので積雪は37cmほどで本当に楽だ。12月の気温も昨年の平均最高気温はー2.26で今年はー0.05℃。最低気温は昨年はー7.1で今年はー5.51℃で暖かいことがわかる。昨年はマイナス15℃以下になった日は4日あったが今季はゼロだ。今日も時々雪が降ったがそれ以外は穏やかな1日だった。道内全域が穏やかだった訳ではなくあちこちで雪害があった。旭川は盆地なので幸せな環境なのです。例の取り残された「ブドウ」がまだ元気でぶら下がっている。今年は残すところあと1日。
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9月28日の北海道新聞に昔、大活躍をした「タコストーブ」を復活させようとした函館の会社の記事が掲載された。私は「ダルマストーブ」と言っていたと思うのだが、形がダルマやタコに似ているので名前がついた。思い切った面白い人も居るものだと気に入って応援のつもりで、9月29日に注文した。今使っている薪ストーブが熱のために薄い鉄板が劣化してそろそろ寿命なので新しいストーブを買う予定だった。少々高価だが面白い企画が赤字になっては可哀想だと思った。注文したときは、注文が殺到して納期は11月になると言っていたが、12月も終るのに未だ音沙汰無し。今日、1通の封筒が届いた。開けてみると納品遅れのお詫び連絡の手紙だった。「・・・・その後も全国から注文が殺到して製造が追いつかず納期が遅れて申し訳ありません。・・・・」良かったなあとしみじみと思った。多分今の時代に懐かしいだけで買ってくれる人がどれだけいるか、赤字も覚悟して企画したと思う。その心意気が好きだ。注文殺到とは本当に良かった。
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全道各地で暴風雪。今朝起きて外に出てみると思ったより雪は積もっていなかったが、あちこちに砂丘のように吹きだまりが出来ていて、旭川も強い風が吹いた事が分かる。除雪をした後に「伊の沢スキー場」の麓の友人宅に孫の家族と挨拶に行ってきたが、時間があれば孫にソリでものって遊ばせようとソリも持って行った。友人宅で遊んで時間が無くなったので帰る事になったが、孫がソリになりたいと言い始めたので、帰ったら庭の山でそり遊びをしようと言い聞かせて帰ってきた。孫は途中、車内で寝てしまったので家に着いても寝たままでソリ遊びは出来ない状態。起きても絵本を読んだり、ままごと遊びをしたりしていたが、突然、「ソリに乗る」と言い始めた。しまった、思い出したか。既に暗くなりかけていたので「もうすぐ暗くなるから明日にしよう」と言ったが聞かない。約束してしまって後悔したが、約束は守らなければならない。暗くなりかけた外に出て庭の小さな雪山でソリ遊びが始まった。寒いし暗くなるのですぐ家に入ると思っていたがあまかった。
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連続の親族殺人事件が起きている。同じ事件を何回も報道しているような錯覚を起こすように続いている。昔は息子や娘が親父やお袋と喧嘩をすると家を出て行くか勘当されるかが多かったが今は簡単に相手が誰であろうと殺してしまうのだからどうしようもない。殺すと言う行為がアメを万引きすると同程度の行為になってしまった。どうしてこうなったのかは過去30年の変化をみるとある程度理由は分かる。分かっているが時代の流れを止めようがない。三無主義( 無気力・無関心・無責任)について昭和45年(1970)ごろから使われた、と物の本に書いてあるが、私が中学生を相手に意識しだしたのはそれから10年くらい経った1983年頃からでその時は無気力の代わりに『無感動』と言う言葉に置き換えて三無主義と言って警告をし、30年後に危機感を覚えていた。無気力も入れて、四無主義という人もいるがいずれにしても無関心が大きな流れになって少しずつ少しずつ変化してきた。あのころから非常事態だった。今朝窓ガラスに氷の結晶がついていた。寒い。
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雪が降らない静かな日が続いている。他の地域が荒れ狂っていても旭川は静かです。でもさすがに気温の低下は冬が深まると同時に下がってきて日中でもマイナス6℃になる。どこか忘れたがついにマイナス20℃を下回った地域が出た。それに比べると旭川なんて暖かいものです。融雪槽の水面が凍ってきれいな紋様になっている。太陽光発電の常設展示場のある大きな店に行った。入るなり店員が来て「分からない事があったらご説明しましょうか?」と言った。特に説明してもらわなくても自分で実際の商品やパンフレットで分かるのだがせっかくだからと聞いてみた。「今一番効率が良い太陽パネルは何処のメーカーでどのような商品ですか?」「一枚のパネルで最高出力は何Wですか?」彼女は慌てて「少々お待ちください」と言って奥に入って行った。現れたのは若くていかにも専門的な知識を持っていそうな青年。「自分で設置したいのだけれど2KM程度の発電をしたいのですが必要な機器など概略いくらくらいで可能でしょうか。」彼は腕を組んで「個人では無理でしょう」と言った。「売電するための契約など個人では・・・」「いいえ、売電するつもりはありません。独立型の発電装置にする予定です。」彼は首を傾げて「ええっ」と怪訝そうに言う。さらに「屋根に固定しなければならないのでやっぱり個人では・・・」という。彼は、売電方式のセットを自分たち業者に頼む客しかいないと思っているようだ。ただのセールスマンだったのだ。ポスターの(発電の事なら何でも相談OK)という宣伝文句がむなしく見えた。相談する場所を間違えた。いや、私は相談に行ったのではなく商品を見に行っただけで、説明は彼らが押し付けたのだ。大きな会社なのに店員は専門性的な知識がないねえ。
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先月、山梨で娘のご主人がスクーターに乗っていて急に左折し始めた車に接触した。幸いにも少々の打撲で済んだので半分冗談で車に当たったから宝くじでも買うかなどと話をして笑っていた。今日、その話を思い出して車を出したついでに年末ジャンボ宝くじを買うつもりでお店に行った。なんと「昨日で終りました」と言われた。「あらっ、そうですかあ」と言うと、今日から初夢宝くじが始まりましたという。「1等いくらですか?」とどうせ当たる筈もない私にとってどうでもよい質問をしてみると「2億円です」という。彼女の爽やかな笑顔に釣られて「では買います。当たる件を下さい」と本当に買ってしまった。宝くじを買ったのは過去に4回ある。1回目は若い頃10枚買って300円当たった。わずかでも当たった喜びを友人に自慢すると、「10枚連番で買うと必ず1枚は当たるんだ、そんな事も知らないのか」と言われて1週間恥ずかしい思いをした。2回目は10枚買って300円の券を換金しないで記念にとっておいて何処かに紛失してしまった。3回目は職場で数人で出資してまとめ買いをして1人4000円くらい当たったて忘年会の費用に消えた。これは私ではなくて同僚の誰かが運を持っていたのだろう。4回目は買った券を当たったかどうかも調べないで放置していつの間にか消えてしまった。今回で5回目。券の置き場所を忘れてしまうかもしれないな。
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テレビなどの街頭インタビューの映像を見ていて以前から気になっていたのだが、「・・・・・と国民は考えているんじゃないの?」「・・・・道民はそう思うよ」「・・・・・・主婦の立場から見ると困ったものですねえ」などと言う人が多いのだ。個人の意見、貴方の意見を聞いているのに、あたかも自分は国民代表のつもり、道民代表のつもり、主婦代表のつもりになっている。本人は意識していないのかもしれないが常に第3者的表現になっている。1億総評論家になっている。だから自分の考えで自分が主体的に考えて行動する事をしない。力が強い人、発言力がある人、あるいは人気者が何か言うと一斉にその意見に追随して賛成の意思表示をする。自分の意見は出来るだけ隠して誰かが言った事に同調する、そういう風潮が今の日本を危ういものにしている。独裁者が人気者になる雰囲気は出来ている。意識の変化には長い時間がかかるぞ。
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