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今年初めて増毛に行って来た。雪が降り続いたのでそろそろボートの雪下ろしに行かなければ、と天気予報を見て今日行って来たという訳です。途中の峠では丁度除雪中で走り安く、まるで私のために除雪をしてくれているようだった。結構行き深く雪崩れが起きそうな場所もあって、峠の雪道はやはり怖い。増毛は風が強くマイナス3℃くらいであったが寒く感じて、完全防寒対策が必要なほどだった。妻は親方と雑談、私は一人で雪下ろし。簡単なので妻の助けを必要としないので、暖かい薪ストーブを囲んで待っていてもらった次第。雨で一度融けてまた凍ったので雪が固く、プラスチックの除雪用スコップが割れてしまった。雪下ろしの後、私も雑談に加わり1時間ほど武勇伝を聞いて来た。今年初めて見た日本海は荒れていた。親方は、今年は風が強い日が多いと言っていた。
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昨日書いたつもりが記事が無い。勘違い?雪が毎日少しづつだがよく降り続く。新聞のニュースに自殺の事が載っていた。全国で32700余人。そのうち男子は23400人。圧倒的に男が多い。不況による生活苦が多いという。暗い気持ちになる。友人の家のすぐ近くでバスが雪の壁に乗り上げていた。運転手が携帯電話で連絡している。前部が破損した自家用車の横で、若い男女が寒そうに立っている。自家用車には若葉マーク、ナンバープレートには「群馬」の文字が。信号の無い小さな交差点での事故。可哀想に北海道で嫌な思い出が残ってしまった。人身事故ではないのがせめてもの救いだ。明日は我が身。気をつけよう。
旭川出身の山下さんが囲碁の棋聖戦を闘っている。一日、インターネットで応援していたが残念、負けてしまった。これで2連敗だ。残念。
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昨日は暴風雪、そして今日は3月下旬の陽気。春と秋は天候が良く変わるので「○心と秋の空」などと言われたが、冬だってもう大きな勢力の高気圧が居座る事は無く、秋のような移動性高気圧ばかりになったのか、天気が短期間でコロコロよく変わる。「しばれる」などと言う言葉は死語になってしまったようだ。街では至る所で排雪車が通る。昨日の雪で除雪が忙しそうだ、
網走で大学生が考案したドーナツが人気だという。網走特産のタラのすり身で作ったドーナツとか。初めは、なかなか巧くいかず苦労した末の商品だ。食品会社に勤めて自分で食品を開発したいという夢を持っていて、大学生の今から研究してみようと思い、その成果が実ったのだ。そう言えば北海道あちこちで高校生や中学生の考案したお菓子などがニュースになっている。若い人が生き生きした様子が伺われていいねえ。
本日、妻が無事に帰って来た。
投稿情報: 23:57 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
「まだ真冬なのに」と思う天候が多いので昨年の今時期を調べた。何と、昨年も正月からぽかぽか陽気で23日には雨が降ったとのメモがあった。こんな1月経験した事が無いという感想もあった。旭川の冬はすでにこの暖気が通常の天候になっているのかも知れない。私の遠い昔の経験で天気を判断する事が出来なくなったようだ。それにしても暖気と寒気の差が大きすぎる。体調管理が間に合わない。
などと考えていたら、今日は朝から暴風雪。除雪をしてもすぐ積もってきりがない。歯科医院の予約をキャンセルしたくなるような悪天候。視界不良でライトをつけての運転となる。車庫に入れるために車の雪を除けてもすぐ積もる。私の体も雪まみれ。いやはや今季最悪の天候になった。この暴風雪は今晩も続くと言う。はははは、これが本当の北海道の冬なのだ。なぜか嬉しい。
投稿情報: 20:31 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
友人が心臓の検査を受けるというので見に行って来た。久しぶりに行く旭川医大病院。広くて大きくて場所が良く分からない。総合案内で「心臓関連の治療を受ける場所はどこですか?」と訪ねても「心臓といっても部署がたくさんあるので心臓のどこを治療するのですか?」と聞かれて、こちらもどういったら良いのかわからない。「友人が心臓の検査をしている筈なのですが」というと1階のある場所を指示してくれたのだが、ボランティアの女性が案内してくれるという。「自分で探して行きます」といっても「経路が複雑で分かりにくいから」と案内してくれる。私としては、ただ友人の検査の結果が出るまで、待ち時間が長いだろうから、話に付き合ってやろうと思っただけなので、ボランティアの人に申し訳なくて、何回も何回も途中で断ったのだが、その親切精神は徹底していた。確かに複雑で私一人なら時間がかかっただろうと思った。さらに彼女は、受付の事務の人に言ってコンピュータで友人の検査の状況を調べてもらって「検査が終わって説明を聞くために22番受付にいる筈です」とまた22番の受付まで案内してくれた。さらにさらに「友人はいますか?」と椅子に座って待っている人たちの中から友人を捜し出すまで見守っていてくれた。ボランティアの女性の顔がとても美しく見えた。
日中の気温はプラスの2℃。またまた車がさらに汚れる。洗ってもすぐ汚れるだろうと洗わないものだから、本当に汚い。夏の雨上がりのように、道路を走る車は脇に溜まった水を跳ね上げる。歩道を歩く人に泥水をかけないように人がいれば減速して走らなければならないのだ。「まだ真冬なのに」
投稿情報: 15:44 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
網走に流氷が近づいて来たらしい。紋別の流氷観光船には乗った事があるが、網走の観光船にはまだ乗った事が無い。流氷の動きは速く、今日見えても明日見える保証は無い。紋別の「ガリンコ号」には2回乗ったが、1回目は、流氷ではなく蓮氷を見ただけで終わってしまい、2回目に行った時は、晴天で暖かくしかも流氷をガリガリ割って進み、感激した事を覚えている。運を天に任せての予約になる。流氷観光はいよいよ本番を迎える。旭川は今日も穏やか。雪は降るものの今日も軽い除雪で済んだ。近所の人が「いつも奇麗にしてますねえ」と声をかけてくれた。調子にのって道路の側面の雪の山を崩して道路幅を広げた。良い運動になった。例の小川のカモが丸まると太っている。あんな所に餌が豊富なのかねえ。秋には落ちるハマナスの実がまだぶら下がっている。
投稿情報: 21:18 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
フワフワとした軽い雪が降った。除雪も張り合いがないくらい簡単に終わってしまう。定期的に送って来る旅行会社からのツアーの案内。世界中の、日本中の旅行案内が賑やかに、魅力的に迫って来る。魅力があっても、4000mの高地では高山病は大丈夫だろうか、歩く距離はどの程度だろうか。どうしても選択の方法が消去法になっていく。世界一高い山を見てみたい、世界一規模が大きい滝を見てみたい、などの希望は体力的に無理だろう、などと考えているうちにパンフレットはゴミになっていく。オリンピックの雑誌に載っていたカメラ、23000円。この頃の私の給料は手取りが20000円程度だったと思う。初めて車を手に入れたのが、その5年後。確か中古で30万円だったと思う。次から次へと懐かしい思い出が吹き出して来る。歳を取ったと言うことか。
2階の植物園ではシンビジュームが順調に伸びている。日照時間が春を知らせているのだろう。シンビジュームとミニコチョウラン、先に花が咲くのはどっちだ。
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国会が始まった。中継を見ていると本当に政治家は情けないと思う。自民党も民主党も昔ながらの政治家は全員辞めて、中堅、若手の政治家に総入れ替えしないと駄目だと思った。若い政治家の中にもおかしな人はいるけれど、とにかく金まみれの政治家は全員、退場してもらいたい。中国がGDP二桁の伸びで、ついに日本を抜いて世界第2位になろうとしているというニュースが報じられている。それは数年前から予想はされていたのだが、それでも「発展途上国」とは、これまた奇妙な話だ。日本の1960年代、オリンピックが開催され、新幹線が通り、大阪万博が開催されて絶好調の経済大国になっていく過程が、今の中国と非常に似ているという。北京オリンピック、新幹線運行開始、そして5月からの上海万博、本当に似ている。今日、図らずも母の荷物の中から、1964年の東京オリンピックを記録した「アサヒグラフ」増刊と、同じく「アサヒグラフ」の1972年の「札幌オリンピック冬期大会」が出て来た。20ページほどのカラーページと殆どはモノクロの写真が印刷されていた。特に所々に掲載されているコマーシャルが時代を表していて懐かしく感じた。また、札幌オリンピックの表紙は「日本ジャンプ陣70メートル級のメダル独占。」の写真だった。
日中、ブルドーザーが家の前の道路の雪を削って行った。
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