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やっと最低温度が20℃を下回るようになって暑さも峠を越えたようだ。今日は懐かしい知人が博物館に写真を見に来てくれるというので、張り切って博物館に行ってきた。写真の中身よりも昔懐かしい話や近況の話に花が咲いて楽しいひと時を過ごした。彼女は立派な大人になっていて(あったり前だって)月日の経過を感じた時間でもあった。写真展がきっかけでまた一人懐かしい人に会えた。別れ際お土産を貰って恐縮してしまった。ごちそうさま。別れた後、家に戻って草むしりでもしようかと思ったら、同僚が笑いながら「もう帰るのか」と言うので数秒迷って草取りは断念した。その後けっこう来場者が多くて賑やかな中で、ある女性が写真について質問をしてきた。買物公園に住んでいたという。さらに話を続けていくと、なんと私と一つ違いで小学校も中学校も同じ学校だった。ということは同じ時期に同じ学校にいたことになる。いやまあ何という偶然だろう。町内を散歩すると近所の庭では花がいっぱい咲いていた。我が家の庭とは大違いだ。
まだ参ってはいないが暑い。草が伸びほうだいで気になって仕方がないが落ち着いて草取りする時間もない。孫の子守で科学館サイパルに行ってきた。恐竜の立体映像にはお客さんがたくさん並んでいて大変な賑わい。4歳の孫は怖いと言って観るとは言わないので助かったよ。1時間半くらいで出てきた。仏様とキリスト様の法事が終わり、早めのお盆が終わった。これから息子の家族が来て賑やかになって夏が終わる。広島・長崎の虐殺も知らない若者が増えている。伝えないから知らないのは当たり前と言ったら当たり前。義務教育の段階で学校できちんと教えるべきだし家庭でも教えて世界中で二度と原子爆弾の犠牲にならないように意識付けをするべきだと思う。そうすればもっと戦争や原子力に対する考え方も変わってくるはずなのに。アメリカと戦争をしたことも知らない若者がいるなんて大人の責任だよ。ハマナスとブドウが一緒になって生っていたぞ。面白い風景だ。
庭のキイチゴが食べ盛り。ブルーベリーはそろそろ熟し始めてきた。コクワやブドウはまだまだ先だ。その間にアロニアが割り込んでくる。アロニアの実でジャムを作ると他人は渋くて美味しくないというかもしれないが、私は好きだ。パンにつけて食べると食欲が増す。うちの庭は今が最高に賑やかだ。大根も大きく育ったので孫に1本引き抜かせる。葉がチクチクして痛いからイヤと言った。4歳なのに知っているのだ。確かに素手で葉を掴むとチクチクする。半分抜いて抜きやすくしてから抜いてごらんと言って抜かせたら喜んだ。大根は生で食べても美味しいんだよ、おじいちゃんの子供の頃はそれがオヤツだったんですよと教えて輪切りにして生で食べさせた。辛いからイヤだというかと思ったが、さほど辛くはなく美味しいと言って食べた。私とお父さんと孫の3人で大根をバリバリかじっていたらお母さんに笑われた。今日は夏雲が空に浮かんだ。大きくて迫力があった。
そうそう昨日お坊さんが来て帰り際にうちのスイレンを見て、ピンクの綺麗な花が咲いているのをうらやましそうに見ていた。話を聞くとお寺でスイレン鉢に植えているスイレンがまだ咲かないという。いろいろ話をしているうちにうちのスイレンをお裾分けすることになった。夕方さっそくうちのスイレンを切り分けて持って行った。あいにく雨が降ってきたが暖かいのでお坊さんと一緒に濡れながら鉢にスイレンを植えた。私の経験ではもっと小さな鉢でも花が咲いたのに、立派な鉢なのになぜ咲かないのかわからなかったが多すぎるくらい株を植えた。やっぱりお寺にはスイレンが似合う。花が咲くといいな。もし咲いたらもう一つ花鉢を購入して増やしたいと言っていた。スイレンは増えるのでいくらでもあげますよと言ったら喜んでいた。そう、うちでは増えすぎてかわいそうだが例年秋には株を間引きして捨てているのだ。貰ってくれるのならこんな嬉しいことはない。今日は広島で大量虐殺が行われた日。アメリカ人は戦争を早く終わらせたなどど正当化しているが冗談じゃない。ナチも驚く虐殺だ。しかも9日には長崎にも落とすのだから。国を愛するアベさん、アメリカに対して怒るべきじゃないのかねえ。
今日はお坊さんが家に来てお経を唱えてくれた。8月だなあと新ためて時間の経過の早さに驚く。8月に入ると過去の戦争を思い出して二度と繰り返さないことを誓うはずが、最近は70年前に逆戻りするような流れが強まっている。「戦争が嫌だと」いうと「利己的だ」と避難する議員が現れた。昔からこのような考えの人はいたが少数派だった。しかし今は自民党では多数派になっている。自民党の憲法草案には個人の人権より公益を優先する案が記されている。今日のニュースでは後方支援の件で防衛大臣が核弾頭も毒ガスも法律上は輸送支援ができるといった。今若者が女性が声を上げ始めた。2015年、日本の将来の分岐点になっている。暑いけれど我慢して気になっていた空き地のと境界部分の草刈をした。その部分に鮮やかな可憐な花が咲いていた。昨年見つけた「ネジバナ」という花。その花だけ刈らないで放置しておいたら、さらに増えて大きな雑草の中でも輝いていた。またその花だけ残して全部刈ってすっきりした。