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例年素通りしている釜石だが今回は1泊してみた。震災で打撃を受けてまだ避難生活をしている人たちが仮設の食堂街を運営しているというので行ってみた。休日で休んでいる店が多くて和食専門店が無かったので、居酒屋に入って夕食をとる事にした。「お酒は飲めないのですが食事だけでもいいですか」と聞くと店のおばさんは気にしたのか、食事らしい食事はできないのですが、と言った。私は1品料理でも十分なのだが「そうですか」と言ってしまった。おばさんは申し訳なさそうにレストランを紹介してくれた。お互いに変な気遣いをしたようで結局、他店を探す事になった。仮設の食堂街には鹿が居て私たちが近づいても逃げようとしない。おばさん曰く「いつもいるの」鹿は自分の住処だと思っているらしい。私は和食が好きなので紹介してくれたお店には行かず、適当に車を走らせて和食店の看板を探した。あった。「釜飯」の看板。さっそく入って夕食、のつもりが、なんと釜飯は予約制だって。がっかりしたが焼き魚定食を注文。老舗のお店らしく繁盛していいる。値段も高い。焼き魚定食が出来上がってみると信じられない貧素な料理。がっかりしたが食べ物で文句を言いたくないのでありがたく頂く。茶碗に入ったご飯が昔懐かしい「めっこ飯」。今時こんなのあるの?いやあ驚くしかない。なんでこのお店がお客がたくさん集まるのだろう。
途中、「鬼の館」の看板が目につき時間がないと思いつつ寄ってしまった。なかなか鬼に関する情報が満載でちょっとのつもりが気がつくと1時間以上過ぎていた。
大槌町には地震発生直後から地元の避難者を長期にわたって守り続けた「稲荷神社」の宮司さんがいて、いろいろその当時の話を聞いたり泊めてもらったりお世話になったので旭川の土産を持って挨拶に行ったのだが、留守で誰もいない。郵便物も玄関のドアに差し込んだままになっていた。宮司さんは地震の津波で大きな打撃を受けたので住民が減って神社としてやっていけないと言っていたので、そのとうりになったのかと寂しい思いがした。今は節目の行事の時のみここに来て、日常は別のところに住んでいるのかと想像した。聞いていた電話番号は「現在使われていません」とくり返すだけ。出会った地元の人に聞いてみるが、彼の消息はわからずじまいだった。
例年フェリーで八戸まで行って南下して海岸を見てくるコースだが、今回はフェリーが2か月前の発売日の午後にインターネットで予約しようと思ったが僅かに2等船室が残っているだけで部屋はすべて埋まっていた。苫小牧・八戸行きが満席なんて考えてもいなかったのでびっくりした。発売日の午前中ですべて予約されたという事になる。考えてみればお盆真っ盛りだった。車のレースのチケットもホテルも予約してあったので、日本海を調べてみた。秋田行きが少し残っていた。苫小牧から秋田についてそれから太平洋に向かうコースを取らざるをえない。秋田に着くと秋田港に大きな道の駅が出来ていた。港の防波堤では家族連れの釣り人がたくさんいて、楽しそうに釣りをしていた。秋田から寄り道せずに「大槌町」まで一気にドライブ。途中の休憩所でクマ出没の看板が目に付いた。北海道と同じだなあと人とクマの生活圏がどんどん重なってくる。
突貫工事。4日からちょっと出かけるので、とにかく3日までに屋根を作って防水シートを敷かなければならない。ここまで進むと後は雨が降っても安心なので時間があるときに作業をすれば良い。まさに突貫工事。重い材料を高いところに上げたり運ぶときだけは一人では出来ないので、娘や義理の息子に手伝ってもらって後は一人で作業をする。体中から汗が出てお腹を壊すかと心配になるほど水を飲んだ。数えきれないほど梯子を上がったり降りたりした。一人でするということは2人でするより何倍も手間と時間がかかる。長い材料を取り付けるにも二人なら片方を支えてもらったら簡単だが、一人なら片方を仮止めして支えなければならない。一人でするためには工夫が必要なのだ。木ねじを打ち過ぎて手首が痛くなった。友人に手伝ってもらったら簡単なのに、一人で作ると決めたのだから一人で仕上げないと完成したときの喜びが違う。てな訳で今日ついに予定の作業まで完成した。よく体力が続いたものだ。