昨日は朝から夕方手元が見えなくなるまで庭で冬支度をした。久しぶりに時間を気にせず作業に没頭して大満足。すっきりした。まだまだ作業は続くがさすがに寒くなって日陰に長時間いると鼻水が出るような気温が続くので明日も太陽が出る事を期待する。
最近の日本語は私には何かすっきりしない。「元気になった」ではなく「元気を貰った」という。「苦労が自分を鍛えてくれる事を信じて頑張る」など自分主体には表現しない傾向がある。第3者的な表現が流行っている。また、銀行にっても役場に行っても書類に「住所を書いてもらっていいですか?」と言う。「印鑑をお借りしても良いですか?」という。嫌だと言ったらお金を下ろす事が出来ない。他に選択肢が無いのに何故聞くのだろうか。暴力団が「金を貸せ」と恐喝するのと同じではないか。相手の意思を尊重する表現のつもりなのだろうがへそ曲がりの私には嫌みに聞こえる。バカ丁寧な表現は随所に見られる。コンビニに入ったら「いらっしゃいませ、こんにちは。セイコーマートへようこそ」思わず「こんにちは。どういたしまして」と言ったが彼女は作業を続けながら何の反応もしてくれなかった。(断っておくが彼女を批判している訳ではありません)
へそ曲がりの独り言です。
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