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最近の話題は戦争については当然だが、身近な話題としては真っ先に猛暑だ。調べて見た。昨年は冷夏で特別な年だったが、一昨年と比較しても今年は最低気温の高いことが特徴だ。7月の最低気温は20℃を超えた日は昨年はゼロ。一昨年でもわずか2日間。それが今年度は13日間もあるのだ。8月に入っても昨年はゼロ、一昨年は3日間だったが、今年は10日現在ですでに5日間が20℃を超えている。蒸し暑く感じるのは当然。寝苦しく感じるのも当然なのだ。ヒバの整理もストップしたまま。草取りも殆どしていない。別に慌てる必要は無いが、何だか特に午前中はボケッと過ごすことが多くなっている。ブルーベリーが黒くなり始めた。2個目のスイカが大きくなっている。1個目のスイカはまだ完熟する前に採って失敗したので2個目はじっくり観察している。
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連日戦争の悲劇を訴えるニュースが流れる。新聞に考えさせられるエッセイを見た。大学生に、イタリア、ドイツ、アメリカ、イギリス、オーストラリアの中で今までに日本と戦争をしたことが無い国はどこか?と問うたら、ある女子大学生が「アメリカ」と答えたそうだ。教授は、学校で歴史を教えることの大切さを思った。特に近代史の学習が必要と言っていた。確かにそうだと思うが、それ以前に毎年毎年繰り返される報道を、彼女はどのようにして避けていたのだろうか。普通に生活していたら、新聞を読まない人でもテレビのニュースを見ない人でも20年以上も戦争の報道と接触しない筈が無いと思うのだが。原子爆弾を落とされた悲劇は知っているが、どこの国が落としたのか知らなかったと言うことか。この人類史上最悪の虐殺の事実も風化されていくのだろうか。もっとも当のアメリカが、民間人も含めた無差別爆撃も、原子爆弾を使用したことも正当だったと言っているのだから呆れる。虐殺と認めたら、その罪の重さに耐えられないのかも知れないが。まあ、どう正当化しようが、ヒットラーも驚く大虐殺に間違いない事実だ。
暑苦しい。熟睡できない。何にもしたくない気分だ。
投稿情報: 23:51 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
蒸し暑い日が続く。寝苦しい夜が続く。それでも本州の猛暑を想像して我慢する。10年くらい前かな、父を連れて五箇山方面へ旅行した時を思い出す。相倉の合掌作りの家、民宿「勇助」で1泊した時、35℃の猛暑を経験した。自家用車で行ったので、車の中にいる時はクーラーが効いて快適だが、車のドアを開けると熱風に包まれる。宇奈月からトロッコに乗って欅平に着くとさらに気温が上がり、父の体調が心配になってくる。そして金沢に着くと、ついに39℃まで上昇した。各観光地では修学旅行に来た高校生に、店の人が「家へのお土産は、干物にして下さい。生ものは心配です」と食中毒の心配をしていた。結論、私は39℃の経験をしているのだ。それに比べたら旭川のこの程度の暑さなんて、と言いたい所だがやっぱり「暑い」。昨日は、町内のパークゴルフの日。予報は32℃。高齢者が多いグループなので暑さ対策に気を付けてプレイをしてきた。曇りで太陽が出ていなかったのと風があったので、むしろ涼しく気持ちよく遊んで来た。家に帰ってから、剪定したヒバの枝を細かく切断する作業にとりかかった。夜はぐったりしてシャワーを浴びて寝てしまった。
投稿情報: 15:42 カテゴリー: 趣味 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
知人の農家に招かれてトウモロコシを貰いに行った。商売用ではなく自分の家庭用にいろいろ作っている。トマト、米ナス、ピーマン、キュウリ、私も作っているのだが、私の野菜とは比べ物にならないほど美味しい。それで本州にいる娘に「故郷からの便り」として送る事にしてトウモロコシだけでなく各種の野菜も貰ってしまった。プロの作る野菜は本当に美味しい。しかも無農薬。無農薬と言えば、息子が作ったキャベツが全部虫に食べられてしまったと笑っていた。虫除けネットを使った列は立派なキャベツが育っていた。家に帰ってさっそく段ボールに詰めて発送した。幸せを感じた1日だった。3時頃からまたヒバの枝の整理。軍手を使わないで素手で作業をするとダニやクモの動きが早く察知できて手首まで上がった段階で退治できる事がわかり、以後、素手で作業をしたが、今度はヒバの脂が手について汚れがひどくなって洗ってもなかなか汚れが落ちないという問題が新たに生じてしまった。
投稿情報: 23:51 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
巣を失ったスズメバチは一夜明けてもまだうろついている。選定したヒバを細かく切って燃えるゴミとして出す作業に取りかかる。切るのは簡単だけれど、その後の片付けが厳しい。枝から葉の部分を切り落とし、枝の部分と葉の部分に分ける。枝の部分は再利用が可能なので無料で収集してくれるが、葉は再利用できないので有料のゴミとして黄色の袋に入れて指定日にゴミステーションへ置く。ゴミ回収車が持って行く。これが旭川方式。太い枝はチェンソーやノコ、中くらいの枝は大バサミ、細い枝は小さい剪定ばさみを使い分けると楽だ。それでも何百回と指を使うので握力が無くなってくるのである。例によって暑いのでランニングシャツ1枚での作業だが、皮膚があちこちくすぐったいと言うかもぞもぞする。よく見ると小さいダニやクモが体中を走り回っている。森の中で作業をしている訳ではないのに何処から来るのだろうと観察する。切り落としたヒバの中にたくさんの虫がひしめいている。それがもの凄い早さで私の体に乗り移ってくるのだ。枝から軍手を伝って来る。足下から上って来る。私の体が運動場になっている。それがくすぐったい感じの正体だった。体を這い回る虫を軍手でつぶしながらの作業が続き、6時を回って作業は中止。さすがにシャワーを浴びなければ何となく気持ちが悪い。未整理の枝はまだまだ残っている。
投稿情報: 23:55 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
家の隣に人が住んでいた時は、毎年境界にあるヒバの剪定を真面目にしていたが、隣りが空き地になってからは、気にする事が無くなったのと、周りからの遮蔽にも役立っていたので剪定はせず、伸び放題にしていた。でもあまり伸び過ぎると今度は切るのに難儀をするので、適当な時期に切ろうと考えていた。そして今日、曇りで猛暑日ではないので実行した。角から最初の1本目を切っていくと、突然、あの有名なスズメバチが飛び出して来た。いやあ驚いたのなんのって瞬間的に飛び下がってハチの襲来に備える。10匹程度が飛び回る。冷や汗が出た。冷静になって観察するとソフトボールくらいの大きさの巣があった。すぐ市に連絡して駆除要請をしようと思ったが、さらに観察を続けると、スズメバチは常に巣の周りを飛んでいるのではなく、何処かに行っている間に残ったハチが巣の中にいて、周りにハチの姿が見えない時がある事に気がついた。即ち、巣に近づけるチャンスがあると言うことだ。さっそくスプレー式の殺虫剤を持って来てチャンスをうかがう。周りにハチの姿が見えない瞬間をとらえて一気に蜂の巣に近づき入り口にスプレーを吹きかける。3秒後一目散に逃げる。ハチたちは大慌てでぶんぶん羽音を立って巣から飛び出して来る。私は既に安全な所まで逃げているので安心。それを3回繰り返す。そして家に入りコーヒーを飲みながらスズメバチがいなくなるのを待つ。暫くして見ると姿が見えないので長ハサミで巣を慎重に切り落とす。そしてまた素早く逃げる。中にはまだハチがいるが動きが鈍い。すばやくビニール袋に入れて、ほっと一息。さて、仕事を続けようとして参った。何処かに行っていたハチが戻って来て巣があった付近を飛び回り、放れようとしないのだ。仕方なく反対側のヒバから剪定を始めた。いやはや緊張した1日になった。ハチ騒動のお陰で、ヒバを切ったはいいが、その枝の処理する時間がなく後日に先送りになった。
投稿情報: 23:23 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
気温が下がらないと屋根裏に上がるのは大変だ。2階は古くて断熱材も無いような壁、屋根。そのため暑い昼に屋根裏に上がると、まさに蒸し風呂のような状態。そこで段ボール箱を開けて中身を確認なんて、とてもじゃないが5分と続かない。昔、若い頃屋根裏の空間が勿体ないと物置に自作した場所で、今は懐かしい空間に感じる。子どもたちが使った玩具や、私の書籍や研修レポート、1983年に購入した初めてのコンピュータ。データ記録のメディアは、何とテープの時代。成績処理プログラムを自作していた時代のものだ。記念に保管してある。屋根裏に上がると、私の思い出がびっしり詰まっている。なぜか大学時代の卒業論文の資料まで置いてあった。比較的気温が低くなる時期に少しずつ整理しようと思いながら、思い出の証拠品を断ち切ることが出来ずに何年も過ぎている。この屋根裏に置く物を追加していないので、減っている筈なのだが、見ると減ったように見えないから不思議だ。さて今週の燃えないゴミの袋は4つになった。
投稿情報: 23:34 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)