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毎日民主党の動きが報道されている。民主党には人材が豊富だと気がついた。官僚抜きで準備が進んでいる。自民党を見ているとこれでよく政権を担当していた ものだと不思議に思うくらい情けない。自民党の中堅連中は元気な事を言っていたのに、口先だけだったのかと、これまたがっかりだ。昨日、温室にビニール天幕を張って、10月まで夜の冷え込み対策は完了。10月に入ると最低気温の様子を見て2階の部屋に鉢植えを入れて冬を越す事になる。朝夕はめっきり冷え込んで、そろそろストーブが恋しくなって来た。赤くならず緑のままのミニトマトが鈴なりに成っている。最後のキュウリがいじけている。家の周りの草刈りをした。ついでに隣りの空き地の草刈りもした。終了する直前にコードの接続部分がショートしてブレーカーが落ちてしまった。これからも少しずつ冬への準備が始まる。これまた楽しいものだ。
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今日、黒岳で初雪が観測された。例年より2週間早いと言う。今日から旭川をスタートとして、「ツールド北海道」が始まった。秋はスポーツの季節、これからスポーツ関連のイベントが各地で開催される。私はと言うと、せいぜいパークゴルフなのだが、町内でのお誘いがあれば行く程度でスポーツにはほとんど縁がない。来週はサッポロドームに行って日本ハムを応援して来るかな?相変わらずマスメディアは、覚せい剤の酒井さんを報道している。あまりしつこいので、酒井さんに同情してしまう。そんな個人的な事より、真剣に覚せい剤撲滅のために大々的にキャンペーンを展開して欲しい。各メディはニュースがなくなるので覚せい剤の撲滅には不熱心になっている、と勘ぐってしまう。とにかく報道の仕方は異常だ。介護に疲れて妻を殺そうとした男に執行猶予付きの判決が出た。今回の裁判員たちは、人の情けを知っている人たちだと思った。今日は特にコスモスの色が鮮やかに見えた。
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そろそろ夜も冷えてくるので温室の花たちのために、側面のビニールシートをかけた。明日は天井も覆って夜の冷気に影響されない環境を作る予定。畑から出て来たミミズを池Cに入れたら、初めは暴れるミミズをエビが突いていたが、ウグイが見つけて一瞬のうちにエビから奪ってしまった。実に素早い。昨日、突然、昔の仲間から電話がかかって来て、とんでもない仕事を頼まれた。本当に困っていたので断りきれずに引き受ける羽目になった。11月末日までの2カ月半の社会復帰というかボランティアというか。まだボケていられないと言うことか。ああ〜。またまた「断る勇気が欲しい」とつくづく思った。バラの花がまだ咲いている。トマトとナスもまだ収穫できる。キイチゴもまだまだ赤くなろうとしている。ゴーヤとキュウリは完全に終わった。ブドウはまだこれからで、熟するのが楽しみだ。
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妻と二人で増毛に行って来た。6月、7月と天候不順で思い通りに行かなかったので、チャンスがあれば出来るだけ海に出たいと思っていた。9月に入ってからは6月かと間違うほどの安定した天候で、波の状態も良く例年とは違う経験をしている。のんびりと8時45分に出発。11時から海に出て13時半には上がって来た。釣果はさっぱりでフグが1匹釣れただけ。自作したステレオで音楽を聴きながら船に揺られていた。出航した他の船も早々に引き返している。まあこの時期は仕方が無い。実は音楽を聴いていて何だが音が変なのだ。あまりにも古いので壊れたのかと思い、帰ったら中古でも探そうと考えていたが、ふと、感じる事があり配線を確認してみた。恥ずかしい事に間違えていた。妻に笑われながら配線し直すと、正常な音が出て気持ちよく海の上のコンサートを楽しんだ。竿先を見ながら音楽を聴くのはとても気持ちの良いものでした。帰り道、かかしのコンテストが展示されていた。昨年から始まって2回目だ。やはり田んぼにはかかしが似合う。
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言葉の乱れについてのニュースを見る度に考えることがある。決まってある質問についての考え方を例にして考察が始まる。「破天荒」の意味は?など。そして正解率が何パーセントだから最近の日本人は日本語がだんだん忘れていっている現状を憂う。言葉の乱れの代表のように「ら」抜き言葉が論じられる。しかし、実は私は小さい頃から「ら」抜き言葉を使っているのだ。私の周りはみんな「ら」抜き言葉を通常の会話で使っていた。だから私は「ら」抜き言葉は北海道の、あるいはもっと狭い範囲かも知れないが「方言」だと思っていたのである。「明日学校に来れる?」「この魚食べれる?」等である。実は私の親は産まれたときから北海道に住んでいた訳ではなく東京にも東北にもいた事があるので、「なまら」と言う北海道弁は使った事が無く、後に初めて知ったくらいで、純粋な北海道弁は分からないので、正確には分からないが、「ら」抜き言葉を使っていた事は事実である。それを言葉の乱れと言われると非常に不愉快になる。学者はもっと研究して論評して欲しいと強く思う。道民が一番多く読んでいる「北海道新聞」の読書の欄に「ら」抜き言葉に批判的な投稿もあるので、ひょっとしたら方言ではないのかも知れない。それでは、私の幼少時代の言葉として「ら」抜き言葉がどのような経緯で使われるようになったのか謎は深まるが、簡単に「ら」抜き言葉を言葉の乱れと言わないで欲しい。それよりも日本語を大切にして、乱れを危惧するのであれば、カタカナ言葉こそ議論の対象にするべきと思う。前述の「破天荒」の問題について本を読まなくなった事が原因と言うが、本を読んでも「破天荒」の真の意味は何処かで学習しなければ分からないのではないだろうか。言葉の乱れを嘆く学者に聞いてみたい。貴方はカタカナ言葉を好んで使っていませんか?雨の後突然晴れた空が印象的だった。カボチャももうすぐ「食べれる」くらい大きくなった。
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